秋から冬に向かうこの時期は、なんだか泣きたくなってくる。

寒さのせいなのかもしれないし、

人恋しさ なのかもしれない。

今年一年のやり残したことに対する焦りなのかもしれないし

日照時間が短くなるせいで、鬱っぽくなるせいなのかもしれない。

 

この切なさを 

昇華させる術は あるのだろうか。

 

時間の流れ方・時間の使い方

この夏、北海道時代の知人と

いろんな形で再会を果たした。

 

SNSの記事を読んでみたり

会って話をしてみたり

 

北海道時代の知人たちがみな ゆったりした時間の使い方をしている気がして

しかも とても豊かな時間の使い方をしている気がして

・・・かなりのカルチャーショックを覚えた。

 

ワタシの会った数人がそうである とワタシが思っているだけであって、
実際は「そうじゃない」ケースも多いんだろう。

 

どちらかと言えば都市部に住む私は

日々、せかされて生きているような気がする。

夫も ロクに休みも取れず たまの休みは疲れを取るためにひたすら寝てるし
こちらのわたしの友人知人は、みーんな忙しく動きまわっている。 

たまたま なのか

それとも やっぱり都市部と地方は 時間の流れ方が違っているのか。

 

都市部には都市部の「便利」という捨てがたい魅力があるので

今は ここを離れたくはないのだけど

たとえば夫は、ここ数年Uターンのことを 結構まじめに考えていたりして

 

グリーンカーテンは、世界だ。

今年のグリーンカーテンもそろそろ終盤。

鉢の一つに、根切り虫が住み着いて、

あっというまにアサガオを瀕死に追いやるが

もはや切り花状態になっているアサガオが意外にしぶとく

茎からわずかばかりの水分を吸い上げて、生きながらえている。

 

同じ鉢のゴーヤは、根切り虫の被害にあっていない模様

ゴーヤはどうやら 虫も食わないほどのまずさらしい。

その苦い実を 湯がいて食べましたがね。

 

それにしても アサガオはアホのように 種を作っている。

そして、満足したかのように 葉っぱを黄色くしている。

 

数年前に

「アホほどの種は要らん」と思い

花が咲いた後の花がらを 子房ごと摘んでみた。

そしたら 

「子孫を残すまでは死ねん!」とばかりに

11月近くになっても 花を咲かせようとするのね

で、後半はお花もキレイな形のものが少なくなって

遺伝子に傷が付いちゃった感じのものになっていて

結局、11月のアタマに(まだ緑の葉をつけようとしていたけど)

撤去したことがある。

これはこれで なんだか切ないものがあったので

今年は 花がらをそのままにしておいたら

あんがい 1/3ほどは種を付けずに枯れていく。

うまいことバランスをとっているもんだ。

 

ゴーヤもね

実がなっているうちは 新しい雌花が咲かない。

実を採ったら そのあとで猛然と雌花の蕾が出てくる

ひとつの茎に、4つの雌花の蕾がついたことがあって

最初に咲いたのが 順調に成長し始めたら

後に控えていた雌花は 咲かない。

もちろん、それがゴーヤの生き残りの戦略。

ホントに、うまいことできているものだ。

電車好き。

車を持っていないせいか、

電車移動が好き。


田舎ぐらしの頃は

一本乗り過ごすと大変だったけど

今の住まいでは、ほぼ時間ぴったりに行動できるし

すわれれば天国だし

(混んで座れないと地獄?)


都心まで1時間弱なので

ストレスは少ないっす。


運動するためのモチベーションがほしいわ。

贅肉のついたわが身体。

 

これでいいと思っているわけじゃないんだよね

もうちょっとスレンダーになりたいと思う

それは 願望。

 

確か数年前までは

DVDを買い込んで TVに向ってエクササイズしてたのに

ここにきてそんな意欲もなくなってしまって

 

周りには「走っている」同年代がちらほら。

偉いな、頑張ってるなと思う。 

自分も思い切って 走ってみればいいのだけど

頑張れる気がしない。 情けないけど。

 

こんなダメな私に効くくすりはないものか

 走るためのモチベーション、模索中。

ゴーヤにみる 男性性と女性性の考察。

ゴーヤを育ててます。

 

ゴーヤは雄花と雌花があって

雌花が受粉すると、ゴーヤの実がなります。

 

ゴーヤの種を植え

芽がでて苗になり、どんどん成長して

やがて花が咲くようになるのですが

これが見事にオスばっかり。

まわりには カップリングできる相手もいないというのに

われ先に咲こうとするのです。

なんか、「がっついてる若い男の子」にも似て。

 

咲き誇る花は圧巻なのですが、

雄花の花の命は、半日ほどで

午後には 首からポロリと花を落し、討死しているのをみると

諸行無常を感じます。


ひと夏に何百も咲く雄花のうち、実際に雌花とカップリングできるのは

1パーセントにも満たないわけで・・・

雄花の蕾の形が精子に重なって見えてきます。 

 

雌花は半月ほど遅れて花をつけるようになりますが

雄花のようにやたらと蕾をつけません。
そのかわり 存在感は、すごい。

小っちゃいつぼみのときから 将来、ゴーヤの実になる部分を蓄えた状態で、
つまり 「女」を アピールするわけです。
つける花もオスのよりも小さいのですが 、受粉しても、雌花は花を落しません。
次世代につながる種をその胎内に宿して
はたまた、ニンゲンさんへ栄養をおすそ分けさせるために?
ゴーヤは どんどん成長するのです。

 

ひところ、我が家のグリーンカーテンには小ぶりながら6個の実がなっていました。

面白いなーと思うのは

ある程度、実をつけると もう、新しい雌花は咲かないのです。

そして、雄花も、徐々にその数を減らします。

 

あるものは食用に。あるものは種を取るかめに完熟させて

8月の終わりにすべての実を蔓から採り 
この夏のゴーヤは、これにて終了かな?とおもっていました。

 

ところが、残暑のせいか 

はぐくんでいたはずの次世代の命をもぎ取られた せいなのか

今季最大のゴーヤの実が 夏の終わりの現在も成長中です。

そして おもしろいことに、あんだけ出し惜しみしていた「雌花の蕾」を

かなりの高率でつけ始めたのです。

でも、雄花はもうあまり咲かないし、

これから秋に向ってゆく季節に蕾をつけても どこまで成長できるやら

時期を逸していると思わざるを得ない・・・。

 

「9月の雌花」の切迫感は、
これまたなんとなく 昨今の女性にも通じるところがあるような、ないような。
そんなこというと、同性・同世代をdisることにもなりかねないのだが。

 

自身の「ツキノモノ」が月に2回来るようになってしまう現実 を鑑みる。
それは、更年期が迫っている証拠。   

私の卵も 女性でいられるうちにもう一働きしたいと 
最後に あがいているのかも。

私自身も生物学的に、秋から冬にむかっているんだなーって 

やっぱり思ってしまうわけです。